テレビを観ると、いつだってある芸能人が悠々自適で豪勢なプライベートを度々視聴者に披露しています。
またある時は、娯楽やグルメなど人間の欲望を駆り立てるようなものを放送します。
そんなものを見続けていると、自然と人間の頭はそれが正しいことだと、それを得ると幸せになれるのだと錯覚します。
いつのまにか、他人の価値観を自分の脳に植え付けれらるのです。
そして恐ろしいのが、それが自分の考えに、価値観に完全になってしまうのです。
このように、私たちは自分が触れるものから多大な影響を受けます。
それが良いものならいいのですが、残念ながらこの世の中は嘘だらけで意識しなければ悪影響を受けざるを得ません。
どんな情報や常識なども割合でみれば真実が1だとすると嘘が2だと言っても過言ではありません。
自分が当たり前だと思っているものほど実は全くの間違いであることはよくあります。
例えば、100年前の人に世界中の人と繋がって、その場にいるかのように会話できると言っても誰も信じてくれないでしょう。
なぜなら当時の人は、ある人と会話をしたかったら、待ち合わせをして直接会うか、手紙でやり取りする手段しかなかったからです。
しかも、時間をほとんど掛けず、しかも場所を問わず世界中の人々と繋がれるなんて絵空事にしか聞こえないのです。
ですが、今はインターネットが爆発的に普及し、SNSなどを使って、誰でも繋がることが出来るようになりました。
このように、私たちが普段何気なく考えていることは間違いだらけだということです。
今でこそ、徐々に人生はお金が全てではないと言ってもあまり反感を買うことはなくなりましたが、数十年遡るとそんなことを言うと馬鹿にされ、嘲笑われる始末でした。
これから益々隠されてきた嘘が公に暴かれ、本当のことが、本物だけが残るようになります。
私たちは完全に人間として真に価値のあるものを求め、真に生き甲斐を感じられる生き方をするべきではないでしょうか。
中々今までの習慣などを急に変えることは確かに難しいです。
しかし、それでもこれからはありとあらゆる常識や価値観が根本から覆されます。
時代の変化についていかないと完全に置いていかれ、後悔や絶望の中で一生を生き続けなくてはいけなくなります。
自分は利得を求めるような生き方はしていないと誰もが思っています。
自分はそんなつもりはなくても傍からみたらそのような生き方をしている人は沢山います。
もっといえば、この世のほとんどの人が自分中心で生きています。
これも世の中がそのようなシステムになっているからと言えなくもないですが、そう気付いている人があまりにも少ないのが問題です。
誰かの為に生きているつもりが自分の為にいつの間にか生きていた、などということは経験したことはないでしょうか。
あるいはやった気になって自己満足に陥っていないでしょうか。
いずれにしても、自分を満たそうとして生きてもただ空しいだけです。
そこには一時的な喜びや幸せはあっても、永遠には続かないのです。
それ以上の素晴らしいものが本当はあるのに、人々は視野が狭く現状のもので満足しようとしてしまうのです。
そして、それが一番価値のあるものだと錯覚しているのです。
例えば、数十年先の未来の自分が今のあなたに会いに来たとします。
そして、その未来の自分がこういったとします。
「今あなたが追い求めているものを捨てなさい。それよりももっと良いものがあるから、命懸けで探しなさい。」と。
果たしてあなたはその忠告を受け入れるでしょうか。
恐らく、ほとんどの人が懐疑的になって拒み、またある人はその未来の自分をバカにしたりして聞き入ったりしないでしょう。
私たち人間は狭い籠の中にいて、外には目を見張るほどのものがあるのに、今のものにしがみつこうとし、それ以上の価値のある高尚なものに目を向けず、その中から出てこようとしていないのが今の私たちです。
釣り針に付いた餌を罠だと思わず、盲目的にひたすらそれに向かっていく魚と正に私たちは一緒なのです。
誰もがそれを見て愚かだと思うでしょう。
ですが、まさにそれを今の私たちはしてしまっているのです。
この世の中の考えや価値観に囚われてはいけません。
今こそ私たちは一度自身の頭をリセットして、本当に正しい人生の道に歩めるように考え、もがかないといけません。
今はインターネットを使えば様々な情報が手に入ります。
その情報は膨大にあふれていますが、いずれ必ず自分が探し求めていた答えに辿り着く日が来ます。
その日が来るまで、最期まで諦めずに探し求めることができることを願います。
決して、自分の人生をただ自分の欲望を満たすことなどに使ってはいけません。
真理はあなたの目の前に必ずあります。それを見つけることができる条件がまだそろっていないだけです。
いろいろ試行錯誤を繰り返さないと、閃きやアイディアが得られないのと同じです。
詰まるところ、私たち人間という生物はその生みの親である存在の為に、生きてこそ真の幸福を体験できるということです。
その存在とは何なのか。
頭の良い皆さんならそれはもう言うまでもないでしょう。