偶像崇拝にありふれたこの世の中で生きている私たち。

  • 2022年1月1日
  • 2022年1月18日
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「歴史は繰り返される」という言葉を皆さんは聞いたことが一度はあるのではないでしょうか。

人類史は私たちが思っている以上に長く続いてきたということが最近になって明らかになってきました。

ですが、当然今の教育では教えられません。

今の私たちというのは現在のものにとらわれがちです。

なので、今が良ければ良いという考えを多くの人が持っています。

古代の人たちというのは、現代人の私たちと違って、常に神の存在を意識してきました。

目に見えないものを非常に重要視していたということです。

何かことある度に超自然的な力を信じ、それに頼ってきたのです。

つまり、自分たちの人生の中に神が常に一緒だったのです。

彼らは霊的な力を駆使して私たちのテクノロジーを遥かに凌駕するほどでした。

誰でもピラミッドやパルテノン神殿などを作ってほしいと頼まれて、それに答えられる人はいないでしょう。

このように、私たちには知らないことが沢山あるのですが、この世に生まれたからには知っていなければならないことも何も知らないということです。

人間は盲目的になってしますと、間違いばかり犯してしまう生物です。

その間違いにすぐ気づくことができればいいのですが、最初から頭に間違った知識や知恵が入っていると、パソコンのように故障し、まるでロボットのように人間本来の力を発揮することさえできなくなります。

更に、年を重ねれば重ねるほど頭も固くなりますので、いざ真実を見聞きしてもそれを受け入れることもできないので益々間違った道を進んでしまいます。

なぜ、多くの人々が様々な物事に騙されてしまうのでしょうか。

人間は真理によって生きるのであって、嘘や偽りの中で生きることはできないのです。

ですが、皆さんも知っての通り、この世は間違った知識や情報で溢れかえっています。

つまり、私たち自ら真理を求めなければいつまでも自分自身が偽者であり続けてしまうのです。

仮に、私がここで神は存在すると言ったとしましょう。

では果たしてどれだけその言葉を信じることができる人がいるでしょうか。

恐らく、一人もいないのではないでしょうか。

もし、神が存在したら今のこの世の中を見て、神はどう思うでしょうか。

自分が創造した人間たちが、別のものに心を奪われそれらに溺れてしまっているのです。

ある人は、堕落的な人間を崇め、またある人はただの物をこの世の何よりも愛しています。

見渡す限り、神を全く感じられない退廃的なものでありふているのです。

都会に行けばそれは一目瞭然です。

善ではなく、悪の文化や芸術ばかりです。

ですが、先程も言いましたが、それをいくら人々に伝えても誰もその話を聞きません。

なぜなら、自分の頭に真理がないからです。

なので、私たち現代人は古代の人とは違い、神ではなく偶像と共に生きているのです。

偶像は木や金などで作られた像だけに限らず、人間はありとあらゆる物を作ってきました。

この世にある全てが偶像対象になり得るのです。

聖書にもこう記されています。

『世も世にあるものも、愛してはなりません。世を愛する人がいれば、御父の愛はその人の内にありません。〈ヨハネの手紙一/ 2章 15節〉』

『すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、見栄を張った生活は、御父から出たものではなく、世から出たものだからです。〈ヨハネの手紙一/ 2章 16節〉』

そして、神は人間である私たちよりも遥かに高い知能を持っているから神なのです。

その神がこのような考えを持っているのですから、いかに偶像崇拝が愚かで浅はかであるかは言うまでもありません。

神はいつも私たち人間が神に立ち返るのを待っています。

今すぐに、この嘘と偽りと欺瞞の世界から抜け出して、真理と愛の根源である神様を呼び求める時です。

そうしてこそ、この地上が本当にあるべき姿に作り変わり、私たち人間が平和と幸せの中で生きられるようになれるのです。

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