多くの日本人は宗教と聞くと必ずマイナスの方に考えが回ります。
一度事実でない固定観念や偏見、先入観が脳に染み付いてしまうと、全く新しいものやそれとは正反対のものを受け入れるのは非常に難しくなります。
今の人間はただでさえ変化を嫌う生き物です。
なので、変わることがどれほど大切か、素晴らしいかを知っていても、恐れや心配といった感情を抱いて、中々先に進めず、現状に踏みとどまろうとしてしまいます。
そしてそれがどれだけ危険なことか多くの人が知りません。
多くの日本人が新年を迎えると神社仏閣に行ってお参りをします。
お墓参りをする時も、恒例のように合掌をします。
にもかかわらず、宗教について建設的な議論ができる人はほとんどいません。
宗教も立派な学問の一つとして成り立っているのに、他の数学や歴史と同じように学校では決して深くは学びません。
人生のことなど人間が生きる上で最も重要で学ばなければいけない学問と言っても良いものなのに、それを詳しく語れる人はあまりいません。
例えば、世界史で最も偉人として名高いイエス・キリストさえ日本人の多くが何をした人物なのかを具体的に説明できません。
その傾向は年齢が若くなればなるほど顕著になります。
恐ろしいことに、世界中に現在、世界の総人口の約3分の1はキリスト教徒がいると言われていますが、年々信仰から離れ、信者が減少していると言われているのです。
なので、本当に敬虔な信者はその半分にも満たないと推測することもできます。
つまり、多くの人々が無神論や唯物論、虚無主義や物質主義などの考えや思想に益々なってしまっているのです。
この世の全てのものは突き詰めていけば必ず神に到達します。
誰でも本当に頭のいい人なら、この世のありとあらゆる文化や芸術が人間の力だけで生み出せるわけがないとわかるはずです。
例えば、科学の法則を発見したのは、もちろん人間ですが、それを作ったのは人間ではないことは明らかです。
今では人間の衣食住は当たり前のようにありますが、これも決して人間だけでは今のようにはならないのは言うまでもありません。
しかし、宗教の知識が全くない私たち日本人は神について真剣に考えることができません。
それを探ろうとする人もいないので、目の前のことばかりに囚われ、物事の本質を軽視している人たちが大半です。
今を生きるのが必死でそんなことを考えている余裕はないと言う人がいるかもしれません。
それは尤もで、これから更に厳しい時代になっていくと容易に予想できます。
だからこそ、今この時に人間である自分のことについて真剣に考えるべきではないでしょうか。
人間一人では何もできません。
それはもう分かりきっている事実です。
なので、最初から一人でやる必要は全くないのです。
というより、全てのことを自分でやれると考えること自体が間違いなのです。
では、どうすれば良いのでしょうか。
その答えは至ってシンプルです。
この天地万物を創造なされた人間より遥かに優れた全知全能の方がいます。
人間ではなく、その方だけを頼り、その方と共に生きることです。
そして、人間にとってこれ以上の素晴らしい生き方はありません。
欲望にまみれ、娯楽や享楽、快楽に耽ることが人間の真の幸せではありません。
虚しいこの世のものは人間を満たさず、むしろ破滅させます。
真理によって、脳が本来の力を発揮し、愛で不可能を可能にします。
そして、それらは全て神からくるのです。
この世は嘘だらなのは言うまでもありませんし、男女の愛が本当の愛でもないのです。
なぜ、私たちは心が常に満たされないように感じるのでしょうか。
それは、本当の愛を受けられていないからだったのです。
そしてその愛の知るためには宗教を抜きで話すことは絶対に不可能です。
これから更に多くの人々が心身ともに苦しむようになっていくでしょう。
そのような人々が一刻も早く、嘘や偽りの言葉に惑わされずに、受け入れるべきものを素直に受け入れて、それぞれが真の幸福な生を生きられるようになりますことを心から祈るばかりです。