今や誰もがスマートフォンを持つ時代になりました。
ながら運転をして事故になるという大惨事にまで発展してしまうニュースもよく耳にするようになりました。
電車に乗れば、画面を眺め、目の前に会話相手がいても、スマートフォンを見つめ、暇さえあればそれを操作するという光景を見るのが当たり前になりました。
ではその人たちが何をスマートフォンでしているのかというと、特に大したことはしていないそうです。
人間の人生には時間があって、有限だというのは誰もが知っています。
ならば、多くの人々がもっと自己研鑽するようになるはずではないでしょうか。
昔はそれなりに本を読む人が多くいた気がします。
ですが、見渡す限りそのような人は今や希少な存在になりました。
目は心の鏡といいますが、目どころか表情、行動でその人の心がわかるのです。
人々は目の前のことに囚われるようにされたり、物事を深く考えさせられないように教育を受けてしまっています。
それ故に、大局的に俯瞰的に見れなくなり、自分の人生すら考えることができなくさせられているのです。
だから、多くの人々は目の前に僅かで一時的な喜びだけで満足しようとしてしまうのです。
一度良くないことに溺れてしまうとそこから抜け出すのが難しいことは言うまでもないでしょう。
そして、私たちは何が正しいのか、何が間違いなのかわからないまま大人へと成長していきます。
その結果、ほとんど全ての人々が正しい人生を送ることができず、真の幸福な生から遠く離れて言ってしまっています。
言葉が悪いですが、悪の奴隷になってしまっているのです。
人間は幸せにならずして、生まれてきたような生き物ではありません。
誰もが本来なら幸せに生きることができるように生まれてきたのです。
ですが、幼い頃から悪の考えを植え付けられてきたせいで、真理や真実に極めて鈍感になってしまい、むしろそれを忌み嫌うようにすらなってしまったのです。
それによって益々悪に拒まず、受け入れ、無意識にその道に歩んでしまっているのです。
なので顔はいくら笑顔でも、悪を避ける生き方から避けていないので、心の中は暗闇に覆われている人々が大半です。
つまり、なぜ多くの人々が何の実りを結ばないスマートフォンなどに時間を浪費してしまうのかというと、
それだけその人の霊魂や心が荒み、苦しんでいて、死んでしまっているということです。
ここで霊魂は存在しないと考える人がいるかもしれません。
では、電波などの電磁波は目に見えるでしょうか。
酸素などの元素は見えるでしょうか。
私たちはもっと目には見えないものに意識を向けなればなりません。
私たちの肉体を含めた物理的なものはあくまで仮の像に過ぎません。
本質はそこにはないのです。
人間の一生はあっという間です。
その限られた時間の中でいかに有意義に過ごすかが重要なのです。
死んでからでは遅いので、思い立ったらすぐ行動していくべきです。
一度立ち止まって、自分と向き合い、自分の人生を真剣に考えて本当の人間として正しい生を送っていくことが真の幸福な道を見出すことができるようになります。
それぞれの人がそれぞれにしかできないことをやり、真に充実した人生を送れるようになったら、どれだけ素晴らしい世界になるでしょうか。
全ての人々が本当に自分が最も正しい人生の道を歩めることを心から願うばかりです。